映画とその原作

小説でも詩でもルポでも戯曲でもいいけど原作がある映画とその原作について無駄口をたたく

『カラスの親指』(2012)

まず原作について、読書メーター

 

 
「カラスの親指」メイキング&インタビュー集 - YouTube

最初に競馬場でサンタマリアをだます詐欺、ここが原作と違う。

原作だと銀行での詐欺だ。

流れはほぼほぼ同じだが、ディテールが違っている。というか省いてしまっている。

2時間20分に原作のすべて詰め込むのは無理な話だ。

村上ショージの入川が阿部寛の武ちゃんと出会う鍵屋のドア修理のエピソードがない。

原作がそもそもホームドラマめいたゆるい雰囲気に満ち満ちており、それとヤミ金組織と対決するコンゲームの後半との緊張感の対象があるんだが、映画はコンゲームの緊張感も省いてしまった。

ヤミ金をだまして大金せしめるときにやひろまひろの入れ替えトリックを使うわけだが、映画はわかりにくい。

トリックを緻密に描くのではなく人間ドラマにしてしまったのだ。

鶴見辰吾の演技はすごみがあっていいけど、あっさり騙されすぎて拍子抜けだ。

さいごにすべて○○の仕組んだことだと判明するけど、原作がそうなっているので付け足したのかと思えるぐらいあっさりしてしている。

そこから振り返るとまひろがクレープ背広にくっつけて財布スルのを目撃して、それを庇うことで村上ショージ阿部寛と出来上がる関係、それもまた○○の演出というにはなんか無理を感じるのだ。都合良すぎではと思えてくる。

村上ショージヤミ金事務所に盗聴器捜査で踏み込んで、携帯電話に仕掛けられてると指摘するところはいいけど、「あと四台もすべてです」というセリフはやばい気がする。

プリペイド携帯が合計九台というのはどこで知ったのだろうか?

ヤミ金の兄ちゃんに指摘されたらどうするのか?

そこじゃなくて、能年玲奈が若すぎるという間抜けな指摘がはいって、あまちゃん娘がうまく切り抜けるんだけど、まさか本当の娘だったとは!? というのが落ちであった。

能年玲奈はなにかの新人賞をこの映画で獲得しているが、それは納得できるレベルだ。

石原さとみの方がクレジットでは先に出てるし役者としても先輩だけど、むしろ能年を引き立てるような演技でこれもまた好感が持てる。原作だとやひろはあまり存在感がないが、石原はそれにリアルな存在感を与えた。

小柳友の寛太郎は、原作だと奇術師である。時計職人ではなく。原作通りの方が本当はコンゲームに花を添えられると思うのだけど。村上ショージの地元が仙台だという設定、これも原作になかったんじゃないかな。

 

■全映画オンライン

http://www.allcinema.net/prog/show_c.php?num_c=342770