映画とその原作

小説でも詩でもルポでも戯曲でもいいけど原作がある映画とその原作について無駄口をたたく

真田風雲録(1963)

監督:加藤泰

原作:福田善之

 

脚本に原作者福田善之も加わっているけど、かならずしも原作通りの筋書きで映画化はされていない。
主演が中村錦之助だけに、佐助=主人公で活躍する場を多く設けている。
原作戯曲がそもそもそうだが、『信長協奏曲』や『真田丸』みたいな現代語でしゃべる時代劇の先駆的映像作品といっていいのでは。ミュージカルであることもポイントだ。ミッキー・カーチスにぎたあるを持たせて弾き語りさせたり、戦勝祝に踊り騒ぐなど音楽的要素は原作からふんだんに取り入れられた。
千姫もドレス姿で秀頼と踊る。
佐助が超能力を持っていて戦闘その他で大活躍するところ、映画ならではの特殊撮影やクローズアップを駆使している。
加藤泰の演出のスタイルがこうまで嵌まるとは意外ともいえる収穫だった。
原作戯曲の持つ主題(学生運動とか、時代劇とミュージカルのミスマッチとか)と加藤泰のスタイルが一見、相反するように感じられていたとしたら、それは偏見だったかも知れない。
原作通り描かれるシーンはある。
例えば、
第二 雲の巻 その二 真田隊抜けがけ波瀾を生む事
真田十勇士の戦いで徳川軍を分裂に導く成果を上げるも、有楽斎は評価せず恩賞も与えない。だが、この前映画で真田隊の進軍を阻むのは服部半蔵と忍者部隊だが、戯曲では「大久保彦左衛門をはじめとする徳川親衛隊」だ。
佐助がラストで服部半蔵と一騎打ちするのだが、戯曲に半蔵は登場しないので映画独自の登場人物となる。
戯曲では真田丸で宴会のシーンがあるが、映画にはこの出城は省略されている。
第三 炎の巻の「その三 大野修理なお策をたてる事」~「その六 その翌日の事」までは戯曲の流れを順当に踏んでいるものの、セリフは多く刈り込まれて、さらに佐助と半蔵との対決を織り込んでいる。
しかし、ラストで荒野を歩く佐助の俯瞰シーンでは「佐助のテーマ」を独唱するのだ。
千姫を救って江戸に連れて行く(渡辺美佐子のお霧も)坂崎出羽守が田中邦衛