映画とその原作

小説でも詩でもルポでも戯曲でもいいけど原作がある映画とその原作について無駄口をたたく

『アジャストメント』2011について

THE ADJUSTMENT BUREAU
アメリカ Color 106分

 

原作は短編でそれもストーリーに(ディックらしい)飛躍や省略も見受けられて自分的には未消化なまま読んでしまった感もある。
映画はこういう欠落(?)を埋めつつも大きく翻案しているのがポイント。
だから、原作は読んでから観るとより楽しめると思う。
女子トイレにわざわざ出かけていって娘に刺されて死んでしまうのが『ファーストラヴ』(2021)環菜の父親だった。
ここでは男子トイレにエミリー・ブラントが現れ、マット・デイモンのハートを射抜く。
その後で調整者たち(アジャストメント)の手違いで二人はバスの中で偶然の再会をする。エミリーのスカートにマットがコーヒーをこぼすことで。エミリーは仕返しにマットのスマホをコーヒーカップの中に沈没させる。
普通ならばこれでふたりの中はぼちゃんとばかりにオジャンになるはずだ。
原作の主人公は不動産屋の普通のサラリーマンである。妻もある。
映画ではマット・デイモンがやんちゃな上院議員候補だ。
なぜか酒場で下半身露出というスキャンダルのシモネタに走って人気も下げる。
そのショック冷めやらぬところにエミリーは出現して次期選挙へのアドバイスをする。
それだけでマットから姿を消さなければならなかった。
マットは原作と違って独身だ。
それでエミリー・ブラントに一目惚れだ。
アジャストメント=調整者というのは、現実に手を加える者たちだ。神の手ということだ。
神は未来のためにマット・デイモンが大統領の方が良いと考えた。
だからエミリー・ブラントをトイレで会わせて上院議員戦への意欲を植え付ける。エミリーの役目はそれだけであった。
そこから計算違いの未来が生まれる。調整員のちょっとしたミスだった。
会社に通うためのバスに乗り遅れるよう「工作」することに失敗したのだ。
おかげでデイモンは、エミリーに再会してしまう。
狂った予定を修復せんと調整員たちがふたりの逢引の邪魔にかかるというのが大筋のストーリーだ。
オフィスで調整作業途中をデイモンが見てしまい、不審を感じる。
調整員がミスして予定が狂い、修復中の主人公に目撃されるという原作のアイデアを膨らませて長編ドラマに仕立てたというのが、この作品で、アレンジの方向は悪くないと思う。
エミリーがモダン・バレエのダンサーで、デイモンが練習を見に行きたいのに練習場所の連続した変更で見に行くことができない。
エミリーの踊るバレエがアヴァンギャルドっぽくて、ステージの観る客席に椅子がない。立ったままの鑑賞だ。『サスペリア』2018でダコタ・ジョンソンが踊ってたダンスよりよほど趣味が良い。