映画とその原作

小説でも詩でもルポでも戯曲でもいいけど原作がある映画とその原作について無駄口をたたく

『雨あがる』 1999

最初は『羅生門』。大雨の情景。それから『どん底』。貧民たちの酒肴と踊り騒ぎ。『椿三十郎』のような、城下の若侍たちの群れとの交流あり、『影武者』でのように殿様は動き回る馬上から話しかける。三船史郎は馬の上でのセリフはまあまあなのだが、降りるとまるでなっていないのだ。『隠し砦の三悪人』にあったような槍と刀(ただしこっちは木刀)との一騎打ちも、といった具合に黒澤作品のイミテーションを寄せ集めたようなシーンの連続だ。隆大介さえもちょい役で出ていた。


どういうつもりだったか知らないが黒澤つながりで二世役者を起用せざるを得なかった小泉監督は気の毒だったかとも思える。

小説だと釣りに行こうと歩いていたところに城下の若者たちが決闘(抜身のけんか)をしていて、釣り道具を置いてそれを止めるのだ。

映画の寺尾は釣果をぶら下げて宿に戻ってくる。そこに見知らぬ馬が停まっていて城への呼び出しとなるのだ。この汚い宿に原作の使者は中に入ろうともしないのだが、映画の吉岡以下の者は律儀に中で待っている。

そもそもが伊兵衛を屋敷に呼び出すのが城主ではなく青山主膳という家老職の人だ。殿様はまだ若輩だが剣術に大いに興味があって師範を探しているというのが、原型のプロット。

殿様自身でも青山某でも伊兵衛に槍でもって向かっていく場面はない。
当然ながら、雨が上がった山道を旅立つ寺尾・宮崎カップルを馬で追いかける殿様一行の姿もない。

映画でこの大根役者たちの群れはとうとう寺尾に追いつけることはないのだが、演技同様に的はずれな方向を追いかけたとしか思えない。