映画とその原作

小説でも詩でもルポでも戯曲でもいいけど原作がある映画とその原作について無駄口をたたく

『美しい星』(2016)

原作をいままで読まないでいたが、映画化したのを機会に一読した。
読み終えた日に早速、映画館に足を運んで観た。

仙台の映画館だったけど、仙台が舞台のシーンは無し。
大年寺山から泉ヶ岳方向を眺めてUFO探す場面見たかったけど残念。
入会権(今時知らないよなあ)の研究者・羽黒助教授以下仙台のでこぼこ3人組も当然いない。
だから仙台では2館しか上映してないのか。扱いが冷たい。

でもこの映画、中村監督のキューブリック愛が堪能できる1作じゃないのかな。
平沢進「金星」も悪くないけど、サラバンドがよかったね。


映画は、三島由紀夫の原作のプロットを21世紀、平成の日本に移植した。いわばタイムスリップ映画だ。時代的な問題をたっぷりとふくませた1960年代の物語を平成の世に移し替えるのに相応の換骨奪胎を行った。それはうまくいっているところもあるし、原作をゆがめ別物にしてしまったところもある。ただ大筋の流れはかなり原作に忠実だったと思うし、21世紀にあって、時代の論点は相当に変わったわけだからそれは致し方ないところだ。


大きく違うのは水爆の恐怖で、原作が書かれたのは、ボタン一つでもしかしたら人類滅亡の危機に陥るというまさに一触即発の時代だった。キューブリックが『博士の異常な愛情』で、シドニー・ルメットが『未知への飛行 - フェイル・セイフ』で描いた狂騒の時代だ。


これを映画は地球温暖化の危機にすり替える。

原作の大杉重一郎は、火星人であることを隠して「宇宙友朋会」なる愛好会を組織し、人類に平和をと、核兵器の廃絶を訴える講演会を繰り返し絶大な支持を得ている。
これを気に食わない連中が仙台にいる3人組だ。大年寺山から泉ヶ岳方面を眺めてUFOを目撃し、宇宙人であることに覚醒した男たち。彼らは太陽系を超えて白鳥座六十一番の未知の惑星からやってきたと称する。彼ら、特にリーダーである羽黒助教授の主張は、人間絶滅だ。スイッチひとつで水爆を発射し、地球を破滅させて故郷の白鳥座に帰ろうという野心を持っている。
大杉と羽黒たちの主張は真っ向から対立し、大杉家を舞台に延々とそれぞれの意見を述べ合う対決シーンが後半部で繰り広げられるのだ。これをまともに映画化したらどうなるだろうと、読んでいるとそれだけではらはらしてしまうような展開だ。この場面をまともに映像化したらタル・ベーラニーチェの馬』を超えるような緊迫した長台詞の掛け合いになるのではと期待はふくらんだが、中村はさすがというべきか巧妙にこれを避ける。


地球温暖化を巡って重一郎と対立するのは、謎の男・黒木なのだが、これは小説だと保守系の代議士で、大学生の一雄が気に入られアシスタントとして雇われて活動するようになる。都内のアパートに引っ越し実家には帰らなくなる。
大杉家は埼玉県の飯能市にあって小説では主要な舞台はローカルな場所にある。これを映画はほとんど東京都内に変えた。暁子が偽金星人と交流する金沢をのぞくと舞台はほとんど移し替えられた。


暁子のペンフレンド竹宮は謡をやっていて道成寺の披きをするような人物だし、仙台から上京した羽黒たちをもてなすために一雄が歌舞伎座団十郎襲名披露興行(大喜利三島由紀夫作『鰯売恋曳網』!)に連れて行くなど、三島の古典芸能趣味が色濃いのだが、中村の脚本ではすっかり排除された。いまどきペンフレンドも流行らないので、金星人との出会いは路上ライブで「金星」という曲を歌う竹宮に暁子が惹かれて金沢のライブハウスまで行ってしまうのだ。そこで内灘町の海岸まで導かれてUFO目撃し、同時に妊娠にいたる。

友朋はUFOをなぞっている。「宇宙友朋会」という活動もいまとなっては地道に過ぎるきらいがあるため、映画ではもっとスピーディーに主張を拡散できるマスメディアを活用する。大杉重一郎は気象予報士で報道番組の人気者だ。だから異常気象と地球温暖化への警鐘を行う役回りにもすんなりと移行できた。

原作の一雄は女たらしだ。だから報復として、ことさらに純潔を保とうとする暁子が同じ女たらしの偽金星人に凌辱されるのだ。
映画では重一郎も若い愛人との密会に忙しい。
映画の一雄はフリーターでメッセンジャーだ。
そんな一家の人間関係を映画の冒頭は鮮やかに描き出してた。まるでハワード・ホークスの西部劇みたいだ。
それは一家の(誰かの)誕生会がレストランで行われている。メッセンジャーの一雄は遅れてきて着替えもしていない。バイトのコスチュームのままだ。重一郎には仕事を装った秘密めいた電話がかかってくる。テーブルから離れて電話していると、サインをねだられるのだ。選んだレストランは愛人の中井玲奈と行った場所(のチェーン店)ということが後で分かる。


地球温暖化をめぐる宇宙人同士の対決がテレビ局の屋上で行われるクライマックス。ここで重一郎は敗れ、血反吐を吐いて癌を発症する。
その後の病院でのシーン、そして一家での病院脱走とUFOとの遭遇に至るラストはほぼ原作通りだ。
中村の演出は、これ以降、キューブリックを意識した演出を施している。
UFOにとりつかれたリリー・フランキーの狂気の表情はどこか『シャイニング』のジャック・ニコルソンに似ている。
水爆ではないものの地球の最後をめぐるディスカッションドラマとしては『博士の異常な愛情』にも通じる。
『メッセージ』のような『2001年宇宙の旅』へのリスペクトも当然含まれる。異星人との接触のドラマとして。
そして、極め付けがサラバンドだ。リリー・フランキー佐々木蔵之介とが対峙する最後のクライマックスで使わる音楽がまさかの『バリー・リンドン』なのだ。


映画を見ながら監督たちのキューブリックへの異常な愛情をみつけるのもまた楽しみのひとつ。これはヒッチコックのワンカット出演をみつけるのにも似ている。森田の『家族ゲーム』、石井の『爆裂都市』、クリストファー・ノーランの『インターステラー』、ドゥニ・ヴィルヌーヴの『メッセージ』、ジェームズ・キャメロン『アビス』『タイタニック』等々である。